2足歩行は3/10が目標

久しぶりの大けが。
4年ぶり通算5度目となる松葉杖。
9年ぶり4度目となる骨折。
時は2021年1月19日。火曜日の朝。
連日続くコマリブの波はスモールインドネシアのごとく。
迫りくる波の高さは襟元ほど。南西のウネリ。
ラインナップには知れた顔のみ。
定休日で時間のある私は普段やりもしない準備運動を行いパドルアウト。
それはまるで10歳若返ったかと思わせてくれる軽やかさ。
波をつかまえればスムース&ラディカルに波を刻める。久しぶりのこの感覚。
「切れてる!」
調子が良いので調子に乗るのは自然の摂理。
私の視線には程よい山なりのウネリが入りまました。すぐさまノーズを岸へと向けテイクオフにベストなポジションへ動きながらテールが波に押し上げられボードがスーと水を切り始める。
テイクオフからすぐに小さいボトムターンからハイラインをキープ。そこから加速させボトムまで降りるとリップがそそり立ってくる。ここぞとばかりにボードを蹴りだし上空へと飛び立つはずが。。。
思い描いていたポジションがとれておらず、私は上でなく前に飛び最も固くなったボトムへと。
それでも体がとっても動くのでボードは返り上半身も回転していたので、ボードはしっかりとついてきていました。
一瞬で着地。

膝が内側に入り嫌な感じ。「やっちゃったーーーーー。」と思う前に激痛が足を襲う。
痛いがまずはその場から脱出。海でのサバイブ術は心得ています。命優先!酸素優先!死ぬこと以外はかすり傷。
再び沖の安全なラインナップへ戻り、恐る恐る足を確認。
付いている。大きな変形はない。足首は動く。指も動く。
さて、どこが痛い?
足首か?膝か?
いやいや。外くるぶしのちょっと上が痛い。
こりゃ折れたな。
と思いましたので早く陸に戻らねば。
こんな時に限って帰る波が来ない。

ようやく波をつかまえBBスタイルで岸へ。
ビーチにはちょうどバイトのエイジロウがパドルアウトしようと波を見ていました。
歩けなければエイジロウに運んでもらわねば。
地面に足をついた循環に足がグニャとならないようにゆくりとボードから降り足を砂につけてみる。
立てる。
何とか歩ける。
外側加重でなければ歩行可能。
足を引きずりながらお店へ戻り。シャワーを浴びて、さてウエットを脱ぐ。
これがものすごく痛いと聞いていたが、たいしてことはない。
というもの冷えて感覚が鈍くなっているみたい。
服に着替えボードを洗ってケースにいれてしまいました。
幸い自転車だったので自転車にのり家路。
早速病院へ電話し受診。
「あーー。折れてるね」
やっぱり。
「手術はどうします?」
「ズレは小さいからそのままでの治るかも。」
分かりました。そのままで。
添え木を足に巻き付け固定。
「絶対に足をつけないでください。絶対安静に!」
痛み止めは骨の修復を妨げるのでとのことで痛み止めなし。
家のソファで痛みで気絶。
翌朝。

あれっ?
昨日折ったばかりなのに。
どうしても行かねばならない藤沢へ。

1/31は大事な地鎮祭。
も松葉杖での参加。

2/5の夜中には「真野大黒天福祭」へ松葉杖で。
まっ、仕方あるまい。
これから私が再び直立二足歩行をとなるまでのマイルストーン。
2/10 やや加重訓練開始。2.5キロ減量
2/26 レントゲン撮影会。50%くらい加重。更に500g減量
3/10 全加重100% 2足歩行始まる。
3/20 BBでのリハビリ開始
4/1 ニーボードでのリハビリ開始
4/15 ミッドレングスボードでのサーフィン開始
4/22 シートボード復帰
靭帯が切れいたら手術でつながないといけないので、復帰が伸びます。
皆様に私が言えることは、
①慣れないことを行う時は慎重に。
②海で事故にあったときは、命と呼吸の確保を最優先に。
③迅速なアイシング、固定、圧迫、挙上を。
④損傷個所の細胞が回復するイメージをできるだけ具体的にイメージする(毎日)
⑤怪我をするなら冬です。
④は大事です。良く回復を早めるといいますが、私も2週間で骨ができ始めました。年齢の割には早いそうです。
しばらくはじっとした生活になります。その間にできることをを進めます。
再びはだしで砂浜を踏みしめる日が楽しみです。